人物紹介
高橋亀吉博士(1891〜1977)は山口県徳山市(現周南市)の出身です.「苦学力行」の末,早稲田大学商科を卒業(1916年)し,久原鉱業(社長久原房之介
:山口県出身)に入社します。その後,1918に年東洋経済新報社(当時の編集長は石橋湛山)に移り,東洋経済新報社編集長(1924年就任)などを経て,日本で初めての経済評論家として独立し,「生涯現役」として活躍されました.
「高橋亀吉」の名を最も高からしめたのは,昭和初期の「金解禁論争」です.日本は金本位制への復帰を巡って論争が行われ,高橋亀吉を初めとした人々は旧平価ではなくて,新平価での解禁論を主張しました.その後,高橋亀吉達の主張は的を得たものであることが証明され,経済評論家として不動の地位を占めるようになりました.
1932年に
高橋経済研究所を設立し,戦後には日本経済研究所を創設しています.この研究所は現在でも日本経済の研究に当たり,様々な活動を行っています.
ちなみに、東洋経済新報社では、「東洋経済賞」「アントレプレナー賞」とともに「高橋亀吉記念賞」が設けられています。
高橋亀吉の経歴
著作目録
高橋亀吉の著書として残されているものは120余冊に及びます。高橋亀吉はいくつかの書物の中で自身の評論活動を回顧し、数多くの著作の分類を行っています。
『高橋経済理論形成の60年(下)』によれば、次の通りです。
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