私の履歴書
評伝
経済パラダイム
証券研究
国会図書館 『高橋亀吉関係文書』
経済倶楽部講演
高橋経済研究所財界月報
晧星社
私の履歴書
日本経済新聞社発行の『私の履歴書』の第13集として,「高橋亀吉」(昭和35年4月掲載)を収録しています。そこには,下記のような項目について書かれています。
・船大工の家に生まれる
・将来を思い朝鮮へ渡る
・学資九百円を目標に貯蓄
・独学で早大商科にパス
・久原鉱業から経済記者へ
・外遊し片山潜と知り合う
・東洋経済編集長時代
・退社して評論生活にはいる
・太平洋調査会会議に出席
・近衛に協力、戦時経済を立案
・終戦前後、極秘で戦後対策研究
・家庭生活をかえりみて
評伝
・生涯現役
鳥羽欽一郎『生涯現役』東洋経済新報社、1992年。
※巻末には,「高橋亀吉の生涯と著作」に関する年表が収録されています。
序章 青山の高橋家
第1章 屈折と反発−生い立ち−
第2章 東洋経済編集長−エコノミストとしての開眼−
第3章 無産運動の嵐の中で−理論か実践か−
第4章 大恐慌と日本経済−金解禁論争の渦中で−
第5章 混迷の中の日本経済−強まる外圧の中で−
第6章 戦時下の日本経済−政策提言者、体制内批判者としての高橋−
第7章 太平洋戦争と高橋−敗戦と戦後の復活−
第8章 急成長する日本経済−経済評論家としての再出発−
第9章 低成長時代の到来−晩年の華々しい活躍−
終章 生涯現役
あとがき
参考文献・資料
高橋亀吉の生涯と著作
・早稲田派エコノミスト列伝
中村隆英「高橋亀吉」原輝史編『早稲田派エコノミスト列伝』早稲田大学出版部、1998年。
1.晩年の高橋亀吉
2.苦学力行
3.エコノミストとして、無産運動家として
4.新平価金解禁論争
5.戦前・戦時の活動
6.近代経済史の金字塔
・経済を見る眼 エコノミスト入門
金森久雄「第5章現実直視のエコノミスト=高橋亀吉」『経済を見る眼』東洋経済新報社(東経新書)、1980年。
・わが先達
・経済史の裏づけ
・すぐれた理論創造者
・現実直視からの実践的処方箋
・追悼−日本経済の名臨床医高橋亀吉氏の人と全業績
『週刊東洋経済』1977年2月26日号、pp. 64-71。
生きた経済と闘って60年、史上最高齢、不羈独立の経済評論家・高橋亀吉氏の論評にわれわれはもはや接することができない。洞察力に富む景気観測、金融・経済史研究等々−氏の多彩な業績と人となりを改めて特集した。−前文より。
混沌の経済現象を整理する名人 /経済評論家 下村治
高橋経済学の四つの金字塔 /山一證券経済研究所理事長 吉野俊彦
先生の胸を借りた30年 /立花証券会長 石井久
真の経済学者を失う /花王石鹸社長 丸田芳郎
経済パラダイム
高橋亀吉の経済思想を扱ったものとして、『証券研究』に特集が組まれています。また、インタビューとして『エコノミスト』毎日新聞社では、1973年12月18日号を皮切りに、「連載社会科学五十年の証言 経済評論家:高橋亀吉 第1回」として,10回に亘り連載されています。
[聞き手 安藤良雄(東京大学教授)と原朗(東京大学助教授)]
「連載社会科学五十年の証言 経済評論家:高橋亀吉」
第 1回 大商人をめざして辛酸 1973年12月18日号(pp. 82-89)
第 2回 大戦前後、独自の経済理論を模索 1974年1月15日号(pp. 68-73)
第 3回 外遊で開かれた経済をみる目 1974年1月22日号(pp. 68-73)
第 4回 国際経済と国内経済との連関 1974年1月29日号(pp. 66-71)
第 5回 経済評論家として独立 1974年2月5日号(pp. 68-73)
第 6回 金融恐慌から金解禁へ 1974年2月12日号(pp. 86-92)
第 7回 新平価解禁論を展開 1974年2月19日号(pp. 82-88)
第 8回 戦時経済への傾斜 1974年2月26日号(pp. 82-88)
第 9回 戦時の経済統制 1974年3月5日号(pp. 82-88)
第10回 戦後日本の経済成長 1974年3月12日号(pp. 86-92)
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