研究事業 モノグラフ3号


◆グローバル政治経済と金融システム改革
      −新しいインターナショナリズムを求めて−  南雅一郎 著

はしがき

 本稿のテーマを大きくいえば、グローバリズムを主要推進力として変貌を遂げてきた各国の社会・経済・金融システムのダイナミズムにある。一般に、グローバリズムの浸透は各国の社会・経済・金融システムの収斂を促す(いわゆる「システム収斂論」ないしは「グローバル・スタンダード論」)といわれるが、本稿においてはグローバリズムの影響下で1990年代に入ってから特に変化が著しい金融システムに焦点を絞り、欧米及びアジア諸国(通貨危機に陥った諸国)が如何にして各々の金融システムを変化させてきたかを特徴的に描写することを目的とする。
 そのために、まず先進地域である米・英・独の金融システム改革の経緯を論述しながらそれぞれの特徴を整理する。次に金融システム改革の日本的推移について比較検討し、若干ではあるが日本型「グローバル・スタンダード論」に対する批判的考察を提示する。また1990年代後半、アジア危機を通して経済システム全般の変革を余儀なくされた諸国(タイ、マレーシア、韓国、インドネシア)の状況を俯瞰し、金融システム改革のアジア的推移に関する私論を試みる。そして最後に、システム変化の主要因としてのグローバリズムについて改めて鳥瞰し、「システム収斂論」の是非を問い質したい。
 さて、一般に社会科学が「科学」であるためには、規範や価値を前提とした主観は元より、何かを主張すること自体すら極力避けるのが本道であり、そうすることは書き手にとって疑いなく安全でもある。しかし、グローバリズムが現代社会に問いかけるものが、本質的に国家と市場の相互作用とか、システム改革を含む政策と対外経済関係の間の相乗・拮抗作用ともいうべき政治経済学的問題であり、同時に我々の実生活を支える社会・経済・金融システムのあるべき方向性という、価値観に関する議論を避けて通れない問題である以上、実証的(positive)な議論を前提としながらも規範的(normative)な論考に取り組まざるを得ない。このため、本稿においては狭義の「標準的経済学」から逸脱した部分があることを、ここでまず記しておきたい。本稿のタイトルとして「グローバル・・経済」ではなく「グローバル・・政治・・経済」という語句を用いた理由は正にここにある。
 ここで本稿の主張を先取りして述べておけば、大きく三点に集約される。第一に、各国の金融システムがグローバリズムの影響下で大幅な変容を余儀なくされてきた事実は否定できないとしても、いわゆる「グローバル・スタンダード」への単線的収斂を想定することは過誤であるという点である。第二に、グローバル資本が支配力を強める国際金融システムと、個別国の金融システムの間の密接な関係を前提とすれば、ある種の共有可能なプラットフォームがグローバルに形成されていく可能性が高い。そこで、そのプラットフォームを共有しなければ時代の趨勢から取り残されてしまうという危機感が各国金融システムの変貌を推進する主要因であると認めるとしても、グローバリズム対応の多様性が、グローバリズムの貫徹という市場の論理に対して各国金融システムの個性が非弾力的であることを意味する限り、各国金融システムの「核」とか「古層」と呼ばれるべきものは残存していくという点である。つまり、グローバリズムと多様性は相剋する一面を持ちながらも共存するのであって、グローバリズムと各国の多様性との間の相剋と共存という論理は決して矛盾したものではないということである。もちろん、「多様性とグローバリズムの相剋と共存」という自身の主張に対する評価は本稿の論証過程における説得力の程度に依存することになるのであろうが、筆力不足や論考の不備があれば、改めて御批判を賜りたい。
 本稿は、筆者が徳山大学経済学部に在職中に進めてきた「グローバリズム」に関する論考を下敷きに、一部は大幅に変更・削除し、新たな考察を付加して整理したものである。本研究に際しては徳山大学総合経済研究所の平成12年度一号研究制度(部門研究「国際金融システムとグローバリズム」平成12年4月〜平成13年3月)の助成を受けた。平成13年3月には同大学を退職し同年4月より日本大学経済学部に転出していた筆者としては、徳山大学在職中に進めた論考を現時点でまとめる機会を与えて戴いたのは望外のことであった。その意味で総合経済研究所の職員の皆さん並びに総研運営委員の諸先生にたいして格別の謝意を表しておきたい。尚、本稿では紙幅の関係から削除を余儀なくされた部分や詳細を論じ切れなかった箇所があると同時に、グラフ・統計資料等は削除しているので、その点は拙稿を各々のテーマに則して個別にご参照して戴けたら幸甚である。
 最後に徳山大学在職中の4年間の思い出と併せて、筆者が徳山で経験した色々な出来事や出会った方々の様々なご好意に対して改めて謝意を記しておく。

平成13年8月25日 慧一郎と過ごした2度目の夏の終わりに

三崎町の研究室にて
南 雅一郎