研究事業 モノグラフ2号


◆「現代的人体所有権」研究序説  粟屋剛 著

はしがき

 以前、私はアメリカ人の友人を熊本城に連れて行ったことがある。天守閣に登ったとき、「この城の殿様は誰だったのか」という質問を受けた。私は、「グッド・クエスチョン!現在の細川護熙首相の先祖の細川氏が藩主だった」と答え、すかさず持論を展開した。「当時の藩主は、薩摩(鹿児島)藩や肥前(佐賀)藩が攻め込んで来たり、幕府に改易(お取潰し)されることは考えても、まさか、民主主義の世の中になり、私のようなわけのわからない日本人が観光で外国人と天守閣に登って望遠鏡で外を眺めている、などということは想像だにしなかったであろう」と。これが大いに受けて、彼はすばらしい説明だと言ってくれた。
 今からたった140年前は江戸時代だったのである。天守閣でガムを噛みながら雑談する輩(やから)など、世が世なら、市中引廻しの上、獄門、間違いない。冗談はさておき、同じようなアナロジーが人体商品化や人体所有権の問題にも成り立つようである。かつて、ジョン・ロックやイマヌエル・カントは、抽象的な、自己の身体の所有権について述べた。しかし、彼らは、人間の臓器や組織や細胞が商品として流通し、人体所有権が具体的な現実問題となることを想像だにしなかったであろう。
また、かつて、カール・マルクスは、労働者は労働力以外に売るものを持たない、と述べた。当時、事実そうだったであろう。しかし、現在、人々は事実として、臓器や組織や細胞も売ることができるようになった。彼はインドの貧しい人々が臓器を売るために病院の受付に並んでいる図を想像できなかったであろう。
 偉大な彼らも、テクノロジーとりわけ医療テクノロジーの力と市場経済の力の相乗効果として何が現れるか、想像できなかったのである。そもそも、このような、人間の臓器や組織や細胞が商品として流通し、人体所有権が具体的な現実問題とされる時代を一昔前の誰が想像しえたであろうか。
 しかし、我々は今まさに、そのような時代を生きているのである。本稿は、このような現実を前提として立論、執筆したものである。
 ところで、ここで、ごく簡単に本稿執筆に至る経緯(いきさつ)を述べておきたい。
 私は1990年代初頭から、フィリピンやインドで臓器売買の実態調査を行ってきた。また、最近では、アメリカでヒト組織や細胞の商品化について実態調査を行った。それらの調査の過程で、臓器や組織や細胞が物として、ひいては商品として扱われる現場を何度も見てきた。そのような経験が私に、人体所有権の問題に興味を抱かせ始めた。
 また、アメリカ、カリフォルニアで、白血病患者が、その摘出された脾臓の細胞をバイオテクノロジー用に無断使用して数百万ドルの利益を得た医師らを、分け前をよこせとして訴えた事件(ムーア事件)があり、そこでカリフォルニア州最高裁は、医学研究・開発に配慮(私にいわせれば、過度に配慮)し、患者の細胞の所有権を認めなかった。私はこの事件の判決文に接したとき、何と理不尽な判決だろうと思った。それで、いつか人体所有権の確立について原稿を書こうと思った。
 本稿執筆に至る経緯はこのようなものである。ただ、さまざまな悪条件が重なり、原稿執筆にはちょうど1週間しかなかった。それで、内容的に満足−自己満足−できないものとなった。いずれ、本稿に手を加え、満足いくものにして、改めて単行本として出版しようと思っている。その時はさしあたり、ロックとカントに書評を依頼することにしている。連絡先を御存知の方は教えていただければ幸いである。

2001年桜のつぼみが膨らみ始める頃

研究室から見える小高い丘に立ち並ぶ墓石に無常を教えられつつ
−著者