研究事業 モノグラフ1号


◆山口県の人口構成と就業者構造 −その推移と予測−  貞木展生 著

はしがき

 山口県は、高度経済成長期に瀬戸内側へ岩国から初めて下関まで、膨大な装置型の工業地帯を形成した。そのような工業化は、戦後になってから始まったのではなく、戦前から戦時体制の一環として整備されていたものであり、それらが萌芽となって戦後の工業化を展開させたとも考えられる。いずれにしろ、世の中の工業化の流れに沿って、山口県は発展してきた。
 しかし、高度経済成長が終焉し、安定成長期になり、「経済のサービス化」が要請されてきても、山口県は装置型の工業中心の産業政策からの脱皮が遅れていたのではあるまいか。その結果が、都市間競争へ対応するような産業構造への変換を遅らせているのではあるまいか。「福岡県と広島県の谷間」にあるため、山口県は両者から束縛されていると考えるようになって来たのではあるまいか。いわゆる「谷間論」である。しかし、山口県は地理的に昔から両者の間に存在していたのである。谷間論の主張に対しては、谷間の両壁が相対的に高くなったのであって、山口県が沈没したのではないことを忘れてはならない。むしろ両壁の上昇とテンポを揃えて、山口県が上昇(発展)しなかったところに問題があるのではあるまいか。
 岩国市を東の果てに置き、柳井、光、下松、徳山、新南陽と連なり、更に防府、山口、宇部、小野田、美祢と続いて、西の果ての下関までの一連の都市流列(これをダンゴ三兄弟ではなく「串ダンゴ」と呼んでいる)は、少々規模は小さいが、形態上では、京浜工業地帯や関西工業地帯と同じようなものである。しかし、これらの都市流列は装置型の重工業へあまりに特化し過ぎており、山口県はそのような産業配置へ安閑としていたのではあるまいか。
「串ダンゴ」は10−20万人の中型都市の流列であって、中心的な都市が欠けていたのではあるまいか。とそのためか、「中核都市論争」が髣髴と唱えられている。しかし、その「中核都市論争」はその当該地域への効果を中心に議論されているが、それだけに留まるべきではあるまい。山口県全体を浮揚させるための方策の一つとしても考えられるべきであろう。特に、中核都市の都市構造を考える場合に、この両面への配慮が欠かされないであろう。
 山口県を活性化させるためには、このような都市構造の改革が必要であろう。しかし、更地に都市を構築するのではなく、既存の都市構造の上に改革の手段を加えなければならない。そのためには、これらの都市構造がこれからどのようになると予測されるかを知った上で、具体的な改革方法を考えるべきであろう。そこで、都市構造を規制している「人口」と「就業者」について予測し、その予測結果に問題があると考えた上で、現在時点での改革のための方策を設定するべきであろう。そのための一里塚にでもなればと考え、本稿を執筆した。
 本稿の作成にあたり多くの方々のご援助をいただいた。特に、徳山大学総合経済研究所のご援助と研究所の皆様のご援助があって初めて本書が完成したのである。それと共に、このように面倒な原稿を整理して、印刷してくださった岡田印刷(株)の皆様へ深甚な謝意を申し上げたい。また、都市間の関連を示すために考察した「就業者マトリックス」を作成する時に必要な貴重な資料を提示いただいた山口県企画部統計課にもお礼を申し上げたい。なお、紙幅の関係から、膨大な資料のすべてを掲載できなかったので、詳細な資料を求められる場合にはお申し越しください。自治体の基本計画を作成されるのにお役に立てれば幸甚である。

2000年1月15日 娘の誕生日に

瑠璃光寺五重塔の麓で
著者識す