研究事業 モノグラフ9号


◆稲葉 和也著 地域と企業 −山口県コンビナート関連企業を中心に

はしがき

 本稿は、拙稿(2002)「周南コンビナートの形成」、徳山大学総合経済研究所編『石油化学産業と地域経済―周南コンビナートを中心として―』、山川出版を書き上げる中で、盛り込むことができず、派生して知り得た興味深い内容などを取り上げたものである。
 「周南コンビナートの形成」において、三井石油化学コンビナート(岩国・大竹地区)と周南コンビナートの形成と展開を取り上げ、旧軍燃料廠の払い下げに端を発する両コンビナートの比較検討を当初行う予定であった。しかし、紙面の制約と内容の整合性の問題があり、三井石油化学コンビナート(岩国・大竹地区)の形成については採用することができなかったのである。
 「周南コンビナートの形成」と第2章「三井石油化学コンビナートの形成」を併せて、両コンビナートの形成期における経緯を分析することができた。しかし、両コンビナートの詳細な比較検討はまだ行われていない。この点については今後の課題にしたいと考えている。
 両コンビナートの形成期を簡単にまとめると以下のようになる。
三井石油化学コンビナートは、工場立地の制約や三井の同一資本といえども調整に困難が生じたことや地元の山口県岩国市・和木町、広島県大竹市との立地における綱引きなどがあり、何かと困難を抱えた上でコンビナートの形成がなされることになった。当時としては周南コンビナートよりも「三井グループの総結集」と言われた三井石油化学コンビナートの方が資金面、技術面で優位であると考えられていたが、そのような条件が石油化学コンビナートの建設、運営上有利に働いたとは必ずしも判断されなかった。むしろ、エチレンプラントの小規模な設備や立地上の制約を受けることになり、石油化学製品総需要の6割を占める関東市場を押さえるために千葉への進出計画が1961年から早くも進められることになる。
 一方、周南コンビナートは参加企業や山口県、徳山市、新南陽市(両市は現在合併して周南市)の協力の下、当初不利と思われた諸問題に対処する。また、元々当地に存在した徳山曹達(現トクヤマ)と東洋曹達(現東ソー)がアンモニア法苛性ソーダから電解法苛性ソーダへの製造転換を通して、塩化ビニルなどの生産を行い、有機化学の分野に進出する。更に、誘導品関連会社の誘致にも成功して、コンビナートの運営を軌道に乗せることができたのである。
 石油化学産業の歩みについて理解する上で、(有)化研フォーラム代表栂野棟彦氏(元『石油化学新聞』編集長)に(裏話も含めて)いろいろご教示いただいた部分が大きかったことを書き添える。上京する度に石油化学工業協会が入る飯野ビル(東京都千代田区)で食事をしながら興味深いお話を伺った。
 三井石油化学コンビナートの形成を書き上げる過程で、興亜石油の事業史に関心が引かれることになり、調査を開始する。興亜石油について聞き取り調査を実施していた時期は、興亜石油が新日本石油精製へ合併する時期と丁度重なっていた。そのため、合併までの経緯も含めて戦後の興亜石油の足跡をまとめたものが第1章である。
また、興亜石油の取材は丁度時勢的に印象深いものになる。「同時多発テロ」、「アフガン戦争」、「イラク戦争」へと続いた政情不安な状況におけるテロ攻撃に対する警戒から、米軍基地がある山口県岩国市に隣接する和木町の興亜石油麻里布製油所(新日本石油精製麻里布製油所)への訪問は、戦車止めのある入口検問所で車の下側に鏡を入れて爆発物や持ち物を検査するなどの物々しい中で行われたのである。
 米英石油会社による終戦直後の「外資提携」の内容を考察するにつれて、現在の米英軍によるイラク統治の問題も強く意識させられた。イラクの石油会社を取り巻く状況は、日本の終戦直後の状況との類似点が恐らくあるものと思われる。このような情勢の中での研究を通して改めて石油が戦略物資であることを認識させられることになるのである。
 興亜石油の聞き取り調査においては、新日本石油精製株式会社麻里布製油所総務グループマネージャー(肩書きは取材当時のもの)今村裕次氏に大変ご協力を賜った。また、元興亜石油平田次男氏、『源流』の著者である元興亜石油阿部要一氏の両氏には貴重なお話を伺いすることができた。興亜石油の社内報や内部資料を閲覧する上で新日本石油精製株式会社常務取締役丸紘氏のご支援もあったと聞き及んでいる。本稿では興亜石油の戦後の足跡について株式所有を中心に論じたが、阿部氏の洞察力には及ばず、勝手な解釈や事実との相違があるかもしれない。それはあくまでも筆者の責任である。
第3章では、帝人におけるリサイクル事業を取り上げた。これも周南コンビナートを調査している時に知り得たものである。世界初のペットボトル完全リサイクル設備が周南コンビナートに存在することに驚きを覚えた。
 この画期的なリサイクル技術について勉強したいと思い、徳山大学で私が講義している「ベンチャービジネス論」で、社内ベンチャーの事例として取り上げることになる。ベンチャービジネス論は、ベンチャービジネスの育成に力を入れる山口県、周南市、(財)やまぐち産業振興財団、徳山大学の主催で市民も参加できる公開講座である。この講座で、この技術の開発者である帝人ファイバー株式会社原料重合事業部・原料重合生産部部長栗原英資氏に講演をお願いすることにした。帝人松山事業所からフェリーで来られた栗原氏から技術的内容も含めて多くのことをわかりやすく説明していただいた。
 また、社内資料に関しては帝人株式会社広報・IR室東京広報課長宇佐美吉人氏にご協力をいただいた。機密内容にも触れる工場見学には帝人ファイバー株式会社徳山事業所総務・環境・安全室長幸野慶治氏にご尽力賜った。また、リサイクル事業に対する帝人の方針や哲学、トップの意思決定などについて帝人ファイバー株式会社取締役鈴岡章黄氏にお忙しい中徳山までお越しいただいてお話を伺った。鈴岡氏はイラク戦争の開戦によって海外出張が取りやめとなり、お会いできる機会が生まれたのである。また、徳山大学学生生活課でお世話になっている鈴岡憲子氏の義理の弟さんであることが分かり、二度驚くことになる。
 本稿の執筆を振り返ってみれば、いかに多くの方々に助けていただいたのかがよく分かる。多くの人々のご協力によって何とか書けたものである。貴重な証言や資料があればこそ、まとめることができたのだとつくづく思う。この場を借りて皆様に心よりお礼を申し上げたい。
 本研究に際しては徳山大学総合経済研究所平成14年度一号研究制度(部門研究「周南コンビナート及び三井石油化学コンビナート(岩国・大竹地区)の形成と展開」平成14年4月〜平成15年3月)の助成を受けた。
最後に、執筆に行き詰まったとき一緒に気分転換をしてくれた娘の皐(6歳)と有希(2歳)に、聞き取り調査・資料収集のために何度も出張して家のことを任せきりにしてしまった妻美樹に感謝したい。

2004年3月3日 ひなまつりの夜に
稲葉 和也