山口65 萩平野 | ||||||
県位置コード | 名 称 | コード | ||||
山口65 | はぎ | Flu-delt-1-2-YAGC | ||||
萩平野 | ||||||
地形種 | 地形項目 | 重要度 | 規模 | 保存度 | ||
河川地形 | 三角州 | *D | 中 | B | ||
所 在 地 | 図 幅 名 | |||||
山口県 萩市 | 5万 萩(山口) | |||||
解 説 | ||||||
長門山地を北西方向に流下してきた阿武川が,日本海に流出するところに形成した三角州。阿武川は三角州頂部で三角州の東側を流れる松本川(本流)と西側を流れる橋本川に分流する。この付近には,比高の低い自然堤防や旧流路が残されている(川島・金谷・濁淵など)。三角州末端の沿岸部(菊ヶ浜)には東西に延びる幅の広い浜堤状砂堆(幅0.7〜0.9km,東西の長さ約2.4km,被覆砂丘があり,最高地点は約10mに達する。)が発達している。この砂堆は北西部のかつて萩城のあった指月山にまで達している。砂堆は指月山からさらに西へ延び,橋本川河口には新しい砂州が形成されている。砂堆より南の三角州中央部は,ラグーン性の低湿な土地が広がっていた(平安古・江向など)が,現在は市街地化している。 江戸時代に,毛利藩の城下町としての整備や舟運のための運河の掘削,洪水対策としての築堤や流路の改修などが行われたが,近代以降規模の大きい干拓や埋め立てなどの改変が少なく,山口県内の瀬戸内海側の三角州に比べ,自然の形態をよく残している。江戸時代中期の絵図「萩大絵図」などが残されており,当時との比較ができる。現在は萩の中心市街地が立地している。 菊が浜には,幕末に大砲を並べる土塁が築かれた。近年では侵食防止のため,東部には護岸堤が,その西には沖合100〜150mに離岸堤・潜堤(人工リーフ)が設けられている。西端部は海水浴場として憩いの場にもなっている。沿岸部は北長門海岸国定公園の一部である。 |
1 萩平野(中央の海に突き出た小山が指月山)
2 三角州末端の菊ヶ浜
3 同上(右方)