鳥取68  夜見半島
県位置コード 名  称 コード
鳥取68 よみ Coa-bar-1-1-TOTT
夜見半島
地形種 地形項目 重要度 規模 保存度
海岸地形 砂州 *D
所 在 地 図 幅 名
鳥取県 米子市・境港市 5万 美保関・米子・境港・松江
(松江11・12・15・16)
    解  説
 
 日野川河口から美保湾に向かって北西方向,美保湾に延びる長さ約20km,幅3〜4kmの半島で,陸繋された粟島(標高38m)を除くと,基盤岩は見られず,すべて砂や泥など新しい堆積物から構成されている。粟島を除くと,標高15mを越える所はない。半島全体を日野川から延びる砂州とみなすことができ,日本最大級の砂州といえる。こうした巨大な砂州の形成要因として,日本海の侵食に対する島根半島の防波堤的役割や中海の水深が比較的浅かったという海側の影響の他に,崩壊によって大量の土砂を供給している大山火山の存在も見逃せない。
 この長大な砂州を詳しく見ると,海岸線に平行して走る数列の砂州・浜堤と浜堤間低地から成り立っており,形成時代から3つの地域に区分できる。南西側の「内浜地区」の砂州が最も古く,縄文時代にはすでに形成されていた。内浜には砂州の上に小砂丘が点在する。次いで,中央部の「中浜地区」の砂州が縄文時代以降中世までに形成された。『出雲国風土記』には「夜見島」と記されており,古代には半島ではなく,美保湾に浮かぶ島であった。美保湾側に位置する砂州群は「外浜」と呼ばれ,江戸時代以降,急速に成長したものである。日野川流域で盛んになった「鈩」と呼ばれる砂鉄精錬業の影響が大きい。鈩製鉄の原料となる砂鉄が「鉄穴流し」によって採取されたため,大量の土砂が流出したからである。夜見半島が形成されることによって潟湖として残されたものが中海である。
 「内浜」の砂州の中海側は近世に干拓が進み,新田開発が行なわれている。半島の美保湾側は白い砂浜が続き,弓ヶ浜(夜見ヶ浜)と呼ばれている。
 この半島については公式な地名はない。地元では弓浜(きゅうひん)半島と云われるが,弓ヶ浜半島あるいは弓が浜半島と呼ばれる場合もある。弓ヶ浜の名称は厳密には美保湾に面した砂浜海岸に対して付けられた呼称である。ここでは,古代の「夜見島」や米子市夜見町にちなんで,新たに「夜見半島」と命名する。
 
 


1 上空から見た夜見半島