島根119 稲原周辺の鉄穴流し跡 | ||||||
県位置コード | 名 称 | コード | ||||
島根119 | いなはら | Mis-iron-1-1-SHIM | ||||
稲原周辺の鉄穴流し跡 | ||||||
地形種 | 地形項目 | 重要度 | 規模 | 保存度 | ||
その他の地形 | 鉄穴流し跡 | *A | 中 | B | ||
所 在 地 | 図 幅 名 | |||||
島根県 仁多郡横田町 | 2.5万 横田・下横田 (高梁13-4・14-3) |
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解 説 | ||||||
中国山地では,近世に「鈩」と呼ばれる砂鉄精錬業が盛んであった。その原料は地元で産出する木炭と砂鉄であった。風化した花崗岩類の尾根や斜面を掘り崩し,流水による比重選鉱で砂鉄を採集していた。この手法が「鉄穴流し」である。鉄穴流しによって,山麓斜面は大規模に改変された。鉄穴流しの跡地はならされて耕作地として利用された。また,岩盤の中で未風化の部分は,堅くて掘り崩せなかったため,突起状の残丘「鉄穴残丘」として残っている。人為的な削り取りは厚さ5m位である。なお,掘り流した土砂の一部は源頭部や谷の出口に流し込まれて,「流し田」が造成された。多くの土砂は下流部へと運ばれ,河道や海岸に堆積し,天井川や三角州を拡大させた。 横田町稲原付近の山麓部には,風化の進んだ粗粒な花崗閃緑岩が広く分布し,盛んに鉄穴流しが行なわれた。鉄穴流しの跡地は標高400〜350mにかけて分布し,小さな凹凸の点在する山麓緩斜面あるいは扇状地状の地形となっている。現在は水田が広がり,集落も点在している。 |
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1 横田盆地
2 同上右方(稲原付近)
3 1977年の稲原付近