広島70 福山平野 | ||||||
県位置コード | 名 称 | コード | ||||
広島70 | ふくやま | Flu-delt-1-2-HIRO | ||||
福山平野 | ||||||
地形種 | 地形項目 | 重要度 | 規模 | 保存度 | ||
河川地形 | 三角州 | D | 中 | C | ||
所 在 地 | 図 幅 名 | |||||
広島県 福山市 | 5万 井原・福山(岡山及丸亀) | |||||
解 説 | ||||||
世羅台地(世羅高原山地)を東流した芦田川が,瀬戸内海中央部の燧灘に流出するところに形成した三角州。 芦田川は,世羅台地から狭い河谷を流下した後,いったん東西に広がる構造性の盆地(神辺平野)に出て,ここに土砂を埋積し,その後,流路を南に変え福山市街地北部の丘陵〜小起伏山地の狭窄部を抜け燧灘に流出し,ここに福山三角州を形成した。 三角州の上端は,狭窄部(長さ約5km,幅600m程度)を越えて神辺平野の末端に及んでいると見られている。ここから,現在の福山市街地の中心部付近までが,中世までに陸化していた地域(中州など)である。福山市街地西部の明王院付近の芦田川河床からは,中世の川底に埋もれた町として知られている「草戸千軒町」遺跡が発掘されている。 さらに海側は,近世以降いくども繰り返され前進して行った干拓地や埋立地(主として第二次大戦後の工業用地)である。干拓地・埋立地の面積は,三角州の面積40km²の3/4を占める。干拓地を拡大していった過程や三角州上の旧河道は,現在の市街地の地名や道路・水路などの特徴あるパターンとして残されている。 |
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