広島69  広島平野
県位置コード 名  称 コード
広島69 ひろしま Flu-delt-1-1-HIRO
広島平野
地形種 地形項目 重要度 規模 保存度
河川地形 三角州 *D
所 在 地 図 幅 名
広島県 広島市 5万 広島(広島)
    解  説
 
 広島県西部の山地より支流を集め,峡谷を蛇行しながら東へと流下した太田川は,広島市可部町付近に達すると,北東−南西方向の構造性の谷に入り,谷底平野を広げて南西へと流下し,河口部には三角州を形成し,広島湾に注いでいる。
 広島平野の内,三角州に当たる部分は,太田川放水路が本川から分流(分派)する祇園大橋付近(長束−大芝,標高5m)から下流である。河道は6筋(旧7筋)に分流し,全体が三角形状を呈する典型的な三角州と言われる。頂部から三角州前面までの長さ約9km,前面の幅約10km。
 三角州の内,16世紀末,毛利氏が広島城を築いた頃の陸域(中州など)は,標高3〜4m以上の場所で,その後,江戸時代になって城下町が成立した頃の海岸線は,平和公園の南を東西に延びる現・平和大通り付近にあったと言われている。それより南の下流側は,潮入りの干潟を干拓や埋立てによって陸化していった土地である。干潟に浮かぶ島々も内陸へ取り込まれ,陸封島となった(黄金山・比治山・江波山など)。干拓地や埋立地の拡大の痕跡は,現在の市街地に残された地名や道路などのパターンによってたどることができる。
 低平な三角州上は,しばしば洪水に見舞われ,被害を被ってきた。この対策として,昭和9年(1934)から,三角州の西端に,放水路を浚渫・築堤する事業が開始され,戦争をはさんで,昭和40年(1965)事業は完了した。これに伴って,これまでの派川も整理統合され,福島川などの旧河道は,埋め立てられ,市街地化していった。